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5分で読める!茂木健一郎の『脳と仮想』を超要約

初めて読んだのは3年以上前なんですが、未だに心に残る名著なので久々にブックレビュー、というか紹介。

難しいけど、衝撃的に面白いです。知的興奮本です。

簡単に要約、あらすじをまとめました。


「心脳問題」

死んだら魂はどうなるの?電気が消えるみたいにぱっと存在しなくなってしまうの?
小さい頃、不思議に思った記憶があります。(今も解決してないですが)

「物質である脳に、いかにして心が宿るのか。」という問い、これを「心脳問題」と呼ぶそうです。こんな子どもみたいな問いを科学者が全力で取り組んでるところがまた興奮を禁じ得ません。

なぜ、単なる物質を、いくら複雑とはいえ、脳というシステムにくみ上げると、そこに「魂」が生じてしまうのか、とんと見当がつかない。見当がつかないということは、きっと、近代科学のやり方に、どこか根本的な勘違いがあるということを意味するのだろう。(p231)

残念ながら、この本の中でもこの問いに対する答えは出ません。


しかし、そのヒントとなり得るであろうキーワードがクオリアです。

物質と意識は本来的に断絶していて、クオリアを感じ取っているにすぎないと著者は言います。クオリアってなんでございましょうか…

クオリア

近代科学というのは「計量できるもの」だけに対象を絞っている。にもかかわらず、それだけで世界の全てをカバーできると思っている。(と脳科学者は皮肉ってる?)
人間の経験のうち「計量できないもの」、クオリアと呼ばれるものもそのひとつです。

クオリア(感覚質)とは、意識のなかで立ち上がる、数量化できない微妙な質感のことだと説明されています。意味不明です。

つまり↓こういうことのようです。

私たちは、視覚、聴覚、味覚、嗅覚といった様々な感覚のモダリティ(心的態度)を通して、外界の様子や自らの身体の様子をつかみ取っている。(p101)

たとえば、目の前に水の入ったコップがあるとする。それを見ている時に私たちの心の中に感じられるのは、色、透明感、照り、輝き、といった様々な視覚のクオリアである。(中略)目の前のコップをつかむことで、視覚と触覚の情報が一致する。コップを唇にあてれば、ひんやりとした触感が生じることでさらにそこに現実のコップがあるという確信が強まる。(p103)


私たちは「もの自体」に到達することは不可能で、あくまで私たちが把握できるのは、その色や触覚や叩いた時の音といった「クオリア」だけなのです。

他者との断絶

そして、「自分」→「モノ」すら到達できないということは、他者となれば、「自分」→「モノ(他者のカラダ)」→「他者の心」という距離感なので、更に遠く、断絶しているということになります。

自分の感じている赤と、他人の感じている赤が、同じ赤なのかですらわからない。(p158)

私もこれについて大学生くらいの時にふと気づいて、発狂しそうになったことがありました。(大げさ)
もし他者には赤が緑に見えていたとしても、他者にとっては緑が赤なので、血の色は(緑に見えてるけど)赤だし、ポストの色も(緑に見えてるけど)赤。他者が何色を赤と呼んでいるのかはもはやわからない。

まとめ

茂木健一郎氏といえば、いかにも科学者っぽい見た目で、胡散臭くて、Twitterでは口が悪い、アハ体験でおなじみのおじさんタレントというイメージもありますが、とても立派な学者であったということを認識させられます。
ちなみにこの本も第4回小林秀雄賞を受賞していて、高く評価されています。

一読の価値ありですよ。

脳と仮想 (新潮文庫)

脳と仮想 (新潮文庫)